« 2009.7月の旅 別荘にて | トップページ | 2009年7月長野の旅 小諸日記② »

2009年7月長野の旅 小諸日記①

20090720_00161 思い切り

海野先生のパクリですが、

まあ、いいでしょう。

小諸に

初めて出かけました。

なぜか?あまり有名でない小諸城が100名城に入ってます。(^_^;;;

20090720_00157 駐車場に車を止めて

観光案内所を見ると

いきなり

ブルーベリーが・・・

長男が見逃すはずもありません。

安いので2パック買いました(^_^; アハハ…

20090720_00158 小諸駅って城の敷地にあるんですね。

この無駄に税金を使ったとしか思えない

誰も利用していない豪華な陸橋で

線路向こうに渡ると

そちらに大手門があります。

20090720_00164 最初の写真が

大手門ですが、

復元だそうです。

明治維新後

競売にかけらて、

一時は料亭になってたそうで、

それを最近再び門に再建したそうです。

この日は祭日なので、

20090720_00165本来なら午前中から

開いてるはずなのに、

担当者が勘違いして、

午後からの開場になりました。

極めてのどかです

( ̄∇ ̄;)ハッハッハ

20090720_00171 小諸城は

櫓はほとんど

ありません。

天守も天守台だけ

そういう意味では

なんでこれが100名城って感じはします。

20090720_00173歴史的には

徳川秀忠が

関ヶ原に向かう途中、

真田の上田城攻めの為に

ここに駐屯したそうです。

意外と知られてませんが、

本来、秀忠軍は、

関ヶ原における、

徳川の主力軍なのですが、真田にくぎ付けにされ、関ヶ原に遅参しています。

これは、一つ間違うと徳川家滅亡につながったかもしれない一大事でした。

結果的に西軍があっけなく負けたため、大事にいたりませんでしたが、

もし、秀頼の出陣、少なくとも毛利の出陣があれば、

秀忠は徳川敗戦のA級戦犯だったはずです。

家康は家の為に自分の子を殺すのもいとわない人物でした。

それなのに、大失態を演じた秀忠をそのまま将軍にする。

廃嫡されても仕方なかったかもしれないのに・・・

このあたりの家康の思慮もまた、興味深いものがあります。

秀忠の足止めに成功したことを見ても、

関ヶ原の時点で、信州の真田、そして会津の上杉は、

少なくとも豊臣への義だけでなく、勝算があって動いたと思います。

ただ、三成の人望が無さ過ぎた、頭が良すぎたともいえるかもしれません。

三成は、人は自分の考えた通りに動くと信じていたと思います。

おそらくは秀吉の下にいた時はそうだったのでしょう。

どこまでが秀吉の力で、どこからが自分の力か、

わからなくなってしまったのかもしれませんね。

それは奢りではなく、秀吉と三成が一心同体だったからではないかと思います。

晩年の秀吉もまた、三成しか信じられる部下がいなかったのかもしれません。

そんな事を考えて城を見るのも楽しいものです。

で、小諸城が100名城に入った理由は、

私が見た感じでは、物凄く深い2筋の谷に挟まれ、

背後も断崖と千曲川に守られているという地形の妙

更に、城下町より低い位置に城を置くという

非常識さにあると思います。

もし、秀吉が攻めたら、やっぱり水攻めにしたのかな?(^_^;;;

« 2009.7月の旅 別荘にて | トップページ | 2009年7月長野の旅 小諸日記② »

コメント

ワンパックでかっ 安っ 私も飛びつきたいです(笑)
こも~ろ~でてみ~よ~ と頭の中を民謡が流れてますわ。あれ?なんて唄だったっけ?

>betteさん
このブルーベリーは安かったですわ(^_^;;;

いいな~、小諸城。

>みすてぃっくさん
一度はいいと思いますよ(^_^; アハハ…

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/104433/45710172

この記事へのトラックバック一覧です: 2009年7月長野の旅 小諸日記①:

« 2009.7月の旅 別荘にて | トップページ | 2009年7月長野の旅 小諸日記② »